観光スポット

海洋性アクティビティも楽しめる「竜洋海洋公園」

竜洋海洋公園はスポーツ施設を備えた海洋センターと、遊具や展望台、芝生の広がる多目的広場などのある緑豊かな海辺の広大な公園です。緑豊かなこの公園では、SUPやカヌー、ローボートなど、海洋性スポーツを「体…

竜洋郷土資料館

木材等諸物資の回漕で「遠州の小江戸」といわれるほど繁栄した掛塚湊や掛塚祭の資料を展示しています。他にも天竜川と遠州灘の恩恵を受けてきた竜洋地区の住民の暮らしなどがわかる歴史・民俗資料を収蔵しています。…

白壁館

白壁館

天竜浜名湖鉄道「敷地駅」のそばにある白壁館では、地元敷地の柿など農産物を中心とした地場産品を販売しています。 いろりを囲んでゆっくりとくつろげる空間も併設しています。ぜひ食べてもらいたいのは「たまごか…

三ヶ野七つ道

三ヶ野七つ道

鎌倉の古道、江戸の道(東海道)、明治の道、大正の道、昭和の道(国道1号線)、平成の道(磐田バイパス)、質屋通いの間道(質道)の7つの道が集まっています。

御殿遺跡公園

御殿・二之宮遺跡は弥生時代~平安時代・中世に営まれ、奈良時代には遠江国府の中心施設が配置された重要な遺跡です。大規模な建物跡は御殿遺跡公園に保存され、その位置がわかるようになっています。 『遠州中泉古…

磐田スポーツ交流の里ゆめりあ

磐田スポーツ交流の里ゆめりあ

2002年サッカーワールドカップ日本代表チームのキャンプ地として知られるグラウンドです。 隣接する大久保グラウンドはジュビロ磐田、静岡ブルーレヴズの練習場となっており、多くの見学者が訪れます。 …

〔アローマメロン〕静岡県温室農業協同組合磐田支所

磐田地域は、温暖な気候と肥沃な大地、天竜川水系の豊かな清流に恵まれた、メロン栽培の好適地です。 静岡県温室農業協同組合磐田支所はマスクメロンをMELOXの愛称の元、『アローマメロン』のブランドで、全国…

ひょうたん池

ひょうたん池

ひょうたん池は、多くの水生植物や生物が生息している自然豊かな池です。 ひょうたん池は、1日約2,000トン以上の豊富な湧水量があり、多くの水生植物やトンボ、メダカなどの生物が生息している自然豊かな池で…

府八幡宮祭典

府八幡宮祭典

10月第1土曜・日曜に中泉地区で行われます。各町内で趣向を凝らした飾り付けの山車が曳き回されます。太鼓や笛の音、威勢のいい掛け声が鳴り響く情緒たっぷりのお祭りです。

矢奈比賣神社(見付天神)

地元の人からは「見付のお天神様」と親しまれています。 東海随一の学問の神様として崇敬され、県内外からもたくさんの参拝客が訪れます。 霊犬しっぺい太郎の像があり、秋には国の重要無形民俗文化財「見付天神裸…

鎌田神明宮

鎌田神明宮

651年創建とされ、式内社でもある島名神社ともいわれています。 鎌田御厨の総鎮守として信仰を集めました。 静岡県の「ふるさと自然百選」に選ばれています。

遠州大名行列

遠州大名行列

東海道五十三次の28番目の見付宿にお泊まりになる参勤交代の大名を、宿役人・本陣・町衆がお迎えする様子を忠実に再現。 夜の部では、見付祇園会舞車の故事を再現する「舞車引き合わせ・薪舞」が行われます。 …

貴船神社例大祭

貴船神社例祭

後醍醐天皇の皇士 宗良親王がこの地に漂着した際、貴船神社の大祭に出会い、村人は親王の前途を祈願、これを喜び、随員の中御門中納言某により公卿囃子他数曲が伝授されたのが始まりとされます。 掛塚湊は江戸から…

長者屋敷遺跡

長者屋敷遺跡

東西約100m、南北約80mのほぼ長方形に巡る土塁に囲まれた奈良時代の遺跡です。 発掘調査で土塁の内側に建物跡が発見されました。 土塁は高さ約3mで、両側には濠が巡ります。土塁の南西隅は古墳の高まりが…

やかたまつり

江戸時代から引き継がれる伝統行事で、祇園祭りの祭礼の1つとされています。やかた祭りは、池田渡船との関わりが深く、流れが急な天竜川は水難事故が多かったため、川供養・厄流しを祈る祭りだといわれています。 …

ヤマハ発動機株式会社コミュニケーションプラザ

ヤマハ発動機コミュニケーションプラザ

ヤマハ発動機の歴史を築いてきた名車の数々や、ボート・ヨットなどのマリン製品、産業用ロボットなど様々な分野の製品を鑑賞する事が出来ます。また企画展示やモノづくり体験、コンサートの他、バイクのオーナーズミ…

〔オートバイ交流/観光パートナー協定〕(株)デイトナ

株式会社デイトナは、オートバイのカスタムパーツ、用品を企画開発し、卸販売する会社。 名前の由来は、アメリカデイトナビーチから。 『バイク文化を創造する』を合言葉に、バイクの楽しさを発信しています。 2…

石碑

一言坂の戦跡(古戦場)

1572(元亀3)年、浜松城へ退却する途中徳川軍は一言坂で武田軍に追いつかれました。その際に家臣、本多忠勝(通称・平八郎)の必死の防戦により、徳川軍は味方を一騎も欠けることなく脱出に成功しました。敵で…