西願寺
阿弥陀如来をご本尊とする真宗大谷派の寺院。 中泉御殿裏門を移築した市有形文化財指定の山門があります。中泉御殿は寛文10年(1670年)に廃止され、表門は西光寺(見付)、裏門は西願寺に移築されました。 …
阿弥陀如来をご本尊とする真宗大谷派の寺院。 中泉御殿裏門を移築した市有形文化財指定の山門があります。中泉御殿は寛文10年(1670年)に廃止され、表門は西光寺(見付)、裏門は西願寺に移築されました。 …
元亀3年(1572)武田信玄は木原(袋井市)、西島(磐田市)に数万の軍を敷き、三ヶ野大日堂まで偵察に来た3千の徳川家康軍を攻撃しました。この際、徳川家の武将、本田平八郎忠勝は大日堂の松に上り、敵陣の様…
永禄12年(1569)、徳川家康は遠江の中心地であった見付に新しい城を築く工事を開始しました。しかし、東方の武田に対し、背後に急流の天竜川が流れる地理的な問題をはじめ、いくつかの理由により築造を断念し…
社山の標高約130mあたりに築かれた平山城。築城年代は不明ですが、15世紀末には存在していたようです。 16世紀初頭には斯波氏と今川氏の抗争の場となり、後に今川氏の支配下に置かれました。 桶狭間の戦い…
御殿・二之宮遺跡は弥生時代~平安時代・中世に営まれ、奈良時代には遠江国府の中心施設が配置された重要な遺跡です。大規模な建物跡は御殿遺跡公園に保存され、その位置がわかるようになっています。 『遠州中泉古…
徳川家康公ゆかりの中泉御殿表門など文化財の宝庫。 お祀りされている日限(ひぎり)地蔵尊で有名。 近年は、恋愛成就のパワースポットとしてテレビやラジオで紹介され、 県内外より参拝のみなさまが続いています…
1572(元亀3)年、浜松城へ退却する途中徳川軍は一言坂で武田軍に追いつかれました。その際に家臣、本多忠勝(通称・平八郎)の必死の防戦により、徳川軍は味方を一騎も欠けることなく脱出に成功しました。敵で…
「5市町村の合併による公文書などの散逸防止」を目的として、旧市町村役場文書のほかに、地域の様々な記録も保存し公開しています。古文書などの資料収集を行っておりますので、地域に関する資料をお持ちの方是非ご…
木材等諸物資の回漕で「遠州の小江戸」といわれるほど繁栄した掛塚湊や掛塚祭の資料を展示しています。他にも天竜川と遠州灘の恩恵を受けてきた竜洋地区の住民の暮らしなどがわかる歴史・民俗資料を収蔵しています。…
10月に祭典が行われる郷社は、明治6年近隣28か村の神社を統合して誕生したもの。 豊田南17地区で17台の山車が華やかに曳き回されるときが祭りのクライマックスです。
海上守護神を祭る氏神様である六社神社の祭典は、神と人とが対話する信心深い祭りです。見所は両日18時ごろの中川通りです。23台の屋台が集結し、活気に満ち溢れます。
江戸時代から引き継がれる伝統行事で、祇園祭りの祭礼の1つとされています。やかた祭りは、池田渡船との関わりが深く、流れが急な天竜川は水難事故が多かったため、川供養・厄流しを祈る祭りだといわれています。 …
旧暦8月10日直前の土・日曜に見付地区で行われる天下の奇祭。 裸に新ワラで作った腰蓑をつけ、押し合い、もみ合いながら通りを練り歩き、矢奈比売神社拝殿内で鬼踊りを行います。 見付天神裸祭紹介動画 …
10月第1土曜・日曜に中泉地区で行われます。各町内で趣向を凝らした飾り付けの山車が曳き回されます。太鼓や笛の音、威勢のいい掛け声が鳴り響く情緒たっぷりのお祭りです。
天白神社の起源は、奈良時代の女帝 孝謙天皇の頃。鎮守は猿田彦命です。 境内には天竜川沿いの池田4地区の山車が集結し、次々と飛び出していく様は迫力満点です。
後醍醐天皇の皇士 宗良親王がこの地に漂着した際、貴船神社の大祭に出会い、村人は親王の前途を祈願、これを喜び、随員の中御門中納言某により公卿囃子他数曲が伝授されたのが始まりとされます。 掛塚湊は江戸から…
東海道五十三次の28番目の見付宿にお泊まりになる参勤交代の大名を、宿役人・本陣・町衆がお迎えする様子を忠実に再現。 夜の部では、見付祇園会舞車の故事を再現する「舞車引き合わせ・薪舞」が行われます。 …
旧東海道筋の突き当たりにある愛宕神社の境内で手筒花火を上げます。愛宕神社は火伏せの神として知られる愛宕権現を祀っております。手筒花火は花火師が直接手に持ち、火の粉が降り注ぐ中で打ち上げられるため、迫真…